Q.16 かんぴょうの歴史

かんぴょうの歴史は古く朝鮮から渡来したと伝えられています。
神功皇后の三韓征伐より凱旋の時、船を敷津(大阪市浪速区敷津)につけた際、御産衣(皇后が船中で応神天皇を御生みになった)を木津の地に埋められて、翌年その地から夕顔の新芽が出た事が、日本での最初と言われています。
大阪ではじまったかんぴょうの栽培が栃木県壬生町に伝わったのは、江戸時代のことです。
1712年、江州(滋賀県)の水口城主、鳥居伊賀守忠照公が、壬生城主になったときにはじまりました。
壬生領の耕地が広いのにもかかわらず、産物が少なく貧農の多いのを憂い、江州からかんぴょうの種子を取り寄せました。明治以降は隣接市町村にも広まり、栽培技術の向上とともに生産量が増加し、大阪方面に大量に出荷されるようになりました。
当時、日本での発祥の地、木津にちなんで、かんぴょうのことを木津とよんでいました。今のように通信の発達していなかった時代には、産地への注文は電報で「キヅオクレ」(木津送れの意)。